能登半島地震で被災した人や現地で活動している人の話を聞き、今後の復興の在り方を考察しようというシンポジウムが2月16日、金沢歌劇座で行われた。認定NPO法人趣都金澤と公益社団法人 日本建築家協会 北陸支部石川地域会の共催。
「令和6年能登半島地震を考える-現地からの声-」と題して開催された同シンポジウム。最初に、輪島の里山に移住して建築設計を手がける萩野紀一郎さんが帰省先の神奈川県で地震の報道を聞き、急遽車で能登の自宅に戻った体験談を話した。自宅の建物は無事だったが事務所は倒壊。自宅がある地域には70軒・170人ほどが住んでいたが、高齢者を中心に多くの人が金沢などに2次避難。残っている人で協力して家や道路、山から引いている水道などを直して生活を続けているという。萩野さんは「能登は自然環境が厳しいためか辛抱強い人が多い。元々自力で生活を立ち上げてきた人たち々なので、今回の震災では里山暮らしのたくましさを感じた」と話した。
地震当日、運営する七尾駅前の複合施設パトリアにいた吉田翔さんは地元の人々の結束力と今後の復興に向けた課題を語った。避難所に指定されていた同施設には津波警報によって400人の地域住民が避難してきた。当初は入居テナントから食事などの提供があったが、その後は地元の一本杉商店街で店を持つ川嶋シェフを中心に料理人が集まって炊き出しを続けてくれているという。吉田さんは「金沢などへ2次避難している若い家族も多く、本当に子供たちが帰ってきてくれるのかが心配。今後のまちづくりの原動力として大切な世代だ」と話した。
能登島在住で七尾市議会議員の高橋まさひろさんは、「今回の地震は過疎地域が大きく被災したという意味で従来の大震災と異なる。2040年問題といわれる深刻な人口減少への対応を議論してきたが、今回の震災で時計の針は大きく進んでしまった。小澤征爾さんは子どもの頃に指をけがしたために奏者ではなく指揮者の道を選んで未来が変わったが、我々も今回を機に人口減少の時代においてモデルとなるような創造的復興をしたい」と話した。
金沢で建築業や不動産業を手がける小津誠一さんは、東日本の震災復興で気仙沼四ケ浜地区の防災集団移転事業アドバイザーを務めた。昨年は珠洲市真浦地区の課題を考える「現代集落」プロジェクトを仲間と立ち上げた。過疎化が進み耕作放棄地も増えている同地域の30年後のビジョンを考え、いざ実行にという矢先の地震だった。「東北では復興後に人が去っていく町、逆に若者が戻ってくる町があった。重要なのは帰りたくなるまちづくりをしているかどうかだ」と話した。
来場者を含めてのクロストークでは、「元の状態に戻すことを目指す復興ではなく、縮小していく社会にどう最適化させて再構築するかを考えるべき」などの意見が出た。