大正元(1912)年に創業し、一世紀にわたり近隣住民や近くの小中学校の児童・生徒らに愛され続けて来た駄菓子店「中山一心堂」(金沢市野町4、TEL076-242-3315)が11月1日から30日まで、創業100年記念感謝セールを行う。今年、卒寿を迎えた店主は「90歳になったのを契機に、最後の花を咲かせたい」と大売り出しに向けて意気込んでいる。
同店は現在の経営者、中山廣二さん(90)の父で、菓子職人だった仁三郎さんが「中山商店」の名前で始めた店。当初は落雁(らくがん)や地域名産のショウガ砂糖せんべい「柴舟」、ようかん、大福など、干菓子や季節の生菓子を製造・販売していた。廣二さんが経営に携わるようになったのは、軍隊から復員した後の1948(昭和23)年。亡くなった仁三郎さんと兄の吉男さんの後を継ぐことになり、「心を大切に、一心太助のように、一心不乱に商売をしよう」との思いを込めて、店名を「中山一心堂」に改めた。
職人を雇い、和菓子やパン、アイスキャンデーを自家製造。さらに、山崎製パン(東京都千代田区)など大手製パン会社とも契約を結び、店内を商品であふれさせた。近隣にスーパーストアがないうえ、学校給食制度がまだ誕生していなかったこともあって、児童・生徒や教職員、師範学校の寮生らがこぞって昼食を買いに訪れ、パンや餅菓子、ジュースなどが飛ぶように売れたという。郊外の村から近江町市場に荷車で肥料を運ぶ農家の休憩所としても使われ、同村からの配達注文も相次いだ。
同社からは優良販売店として20回以上、感謝状や表彰状を贈られ、「売れて売れて、夜、寝るのも惜しいくらいだった」と廣二さん。妻の代志子さん(86)も「面白かった」と、笑顔で当時を振り返る。
1979(昭和54)年には、隣接地にプラモデルを扱う「チャンピオン金沢模型」を開店。近くの小中学校の男子児童・生徒の間で「放課後、チャンピオンに行こう」が合言葉になるほど、人気を集めた。
しかし、「失敗した」と悔やむ出来事もあった。職人が独立し、和菓子製造を止めた後、新しい商売の道を探って店内にゲームを導入したことが思いもよらぬマイナスに働いた。子どもたちは金の浪費を心配する教師やPTAから店への出入りを止められるように。このことがきっかけで、小売りの菓子を買いに訪れる親子の数も減ったという。
今は、子どもたちに品定めの楽しさを感じてもらえるよう、スーパーストアにはないばら売りの駄菓子を中心に約200点を販売する。身長の低い小学校低学年の児童も目が届くよう、低い台に小さな菓子をたくさん並べ、店内はおもちゃ箱のようだ。
11月のセールでは商品価格から5%を割り引くうえ、買い物客に粗品を進呈する。
廣二さんは「ここ2、3年くらい、家内ともう店をやめようという話ばかりしていたが、90歳を境に、死ぬまで頑張るという意思表示をしようと考えた。師範学校の寮生や泉中学校の生徒、学校の先生方にもお世話になった。おわびも兼ねて謝恩したい」と話している。
営業時間は6時~19時。