石川県災害ボランティア48人が4月29日~5月2日、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市に出向き、津波のため商店街や住宅街に堆積した泥を搬出して再建を手伝った。
3泊4日の日程を終え、石川県庁に到着した県災害ボランティア参加者
石川県から同大震災被災地に災害ボランティアを派遣するのは初めて。県はあらかじめ先遣隊を送り、受け入れ態勢などを確認したうえで、同市を最初の派遣先として選んだ。当初は4月22日に出発させる予定だったが悪天候のため延期し、今回が第1陣となった。
一行は19~78歳の男性41人、女性7人で組織。「石川県ボランティア」と記したそろいのゼッケンを身に着けて、三国栄県県民文化局長(61)ら県職員5人とともに、浸水被害に遭った同市中央3丁目の商店街と約2キロ離れた住宅街、大街道北1丁目で汗を流した。
海岸近くに位置する中央3丁目は現在も停電が続き、住民は全員避難中。火災で焼失した家は無残な焼け跡をさらし、津波で裏返しになった車や傾いた電柱は放置されたままだ。駐車場に隣接する駐在所では約10人の警察官が殉死したといい、点灯しない信号機の代わりに、愛知県から派遣された警察官が近辺の交通整理に当たっている。周辺には魚が腐ったような悪臭が充満しており、ボランティア参加者はマスクを着けて黙々とスコップを動かし、土のう袋に土砂を詰め込んだ。
一方、大街道北1丁目は電気が復旧し、近くの商店も少しずつ再開して復興の兆しが見え始めたところ。一日も早く震災前の住環境を取り戻そうと、ボランティアの受け入れ窓口である市災害ボランティアセンターに派遣を要請する住民も増えてきている。石川県の災害ボランティアが出向いた民家の庭では、土砂のほか、市内の製紙工場から流出した紙が水を含んで土状になり、5センチほどの白い層を作っており、参加者が力を合わせてきれいに取り除いた。
一行は5月2日3時50分ごろ、バス3台で石川県庁(金沢市鞍月1)に帰り着いた。参加者の津幡町太田、石川工業高等専門学校教員団野光晴さん(43)は「現地では自衛隊や地元の土建業者が重機を使って後片付けをしていて、ボランティアの力は小さなものだと感じたが、被災地へ行って、被災者のことを気にしていると目に見える形で伝えることに意義がある。機会があればまた参加して力になりたい」と力強く話した。
派遣前に5日間ほど県庁10階の職場まで階段を昇り降りし、体力作りに励んだという三国局長は「スコップで泥を持ち上げたり、土のう袋を載せた一輪車を押したりと、腰を使う動きが多かったので、私も含め数日後には腰が痛くなるかもしれない。しかし、1人のけが人もなく、体調を崩した方もなく、一生懸命に働いていただいた。感謝している」と、参加者の労をねぎらった。
5月6日には、ボランティア第2陣約50人が同市に向けて出発する。