石川県で生活していると、太鼓の音を聞く機会が多い。地域の祭りはもちろん、イベントやショッピングモールでも、何か催し物があれば太鼓チームがゲストとして呼ばれ演奏する姿をよく見かける。金沢市最大の祭り「金沢百万石まつり」でも、メインイベントである「百万石行列」の出発を約150人の地元太鼓奏者らが華々しく打ち響かせて知らせている。
「金沢百万石まつり」出発式での様子 ©東幸人
石川県ではなぜ太鼓文化が盛んなのか。太鼓とのつながりや歴史を、1609(慶長14)年から地元で太鼓を作り続ける「浅野太鼓楽器店」(白山市福留町)専務の浅野正規さんに聞いた。
浅野正規さん(左)と妻の紘佳さん(左)、「金沢百万石まつり」で演奏した輪島市出身の今井昴さん(中) ©東幸人
-石川県は太鼓文化が盛んだと言われますが、他の地域と比べても団体や演奏者の数は多いのでしょうか?
浅野 国内でも九州や四国、愛知県など太鼓が盛んな場所はいくつかありますが、平均すると各都道府県で活動しているのはそれぞれ約50団体ほど。石川県内で活動する太鼓チームは全部で200団体ほどあると言われていますので、太鼓文化が盛んと言っても過言ではないでしょう。
-公益社団法人「石川県太鼓連盟」の副会長も務めていらっしゃいますが、現在加入されている団体はどれくらいですか?
浅野 2024年現在で連盟に加入しているのは、奥能登地区で8団体、口能登地区で13団体、金沢地区で20団体、加賀地区で22団体の合計63団体です。
-能登は「奥能登」と「口能登」で分かれているのですね。
浅野 そうですね、奥能登は輪島市・珠洲市・能登町・穴水町、口能登は志賀町・七尾市・中能登町・羽咋市・宝達志水町を指しています。
石川県の太鼓文化は500年前から続いている
-石川県の太鼓文化の歴史について教えてください。
浅野 石川県の太鼓文化の歴史がいつ始まったかは定かではないですが、石川県指定無形文化財、並びに輪島市指定無形文化財に指定される「御陣乗太鼓」は、1576(天正4)年に現在の輪島市名舟町へ攻め込んだ上杉謙信を村人たちが太鼓で追い返した逸話に由来します。つまり、約500年前には太鼓をたたくという文化が石川の人々に広まっていたと考えられます。
「御陣乗太鼓」の演奏 ©石川県観光連盟
-「浅野太鼓楽器店」も創業は1609(慶長14)年と長い歴史をお持ちです。
浅野 弊社の歴史は、播磨国(現在の兵庫県)で太鼓作りの名人として知られた祖先・播磨屋左衛門五郎と治郎が加賀藩に職人として招かれたことに始まります。金沢の浅野村(現在の浅野町付近)に住み、その技能を認めた加賀藩二代藩主前田利長から褒美を授かったという記録が残っています。加賀藩からは能登・加賀での太鼓作りを任せるという「御定書」も出たそうで、明治維新や戦争などを経験しつつ、400年以上、太鼓の製造や販売を行ってきました。
「浅野太鼓楽器店」に展示されている約300年前の太鼓
能登と加賀、太鼓が盛んな理由はそれぞれ異なる
-500年前から現在に至るまで、石川県で太鼓団体がこれほどまでに増え、活動が盛んな理由を、どのようにお考えですか?
浅野 石川県の太鼓文化が発展したいきさつは、地域によって若干異なります。まず、能登の太鼓は能登半島広域で執り行われる「キリコ祭り」の影響が強いと考えています。
宝立七夕キリコ祭 ©石川県観光連盟
キリコ祭りの太鼓は、1台の長胴太鼓をオオバイと地打ち担当のコバイの2人1組でたたくのが特徴です。能登の各地域でリズムやたたき方は異なりますが、全般的に祭り太鼓がベースとなっているように思います。
-なるほど、能登は祭りが盛んですし、祭りを行う地域を中心に太鼓をたたける人が多いのかもしれませんね。
浅野 金沢市から南に広がる加賀地区では、「虫送り太鼓」がベースにあるように思います。虫送り太鼓は農作物に付く害虫を追い払うため、かがり火をたいて太鼓を鳴らす豊作祈願の行事で、農村地域が多かった加賀の各地で行われていました。虫送り太鼓にも独特のリズムやたたき方があり、現在も活動を続けている太鼓チームの中でも流れをくんでいるところは多いです。
「虫送り」を演奏する和太鼓サスケ ©横内淳史
また、「獅子舞」が盛んな地域では獅子舞のための太鼓が根付いていますし、和倉温泉街や加賀温泉郷などでは、観光客に向けたエンターテインメントとしての太鼓も流行していました。不況などで宴会が減り、温泉場での太鼓文化は一度は衰退したとも聞きますが、保存会や地域などが力を入れ、現在も活動に励んでいるチームがあります。
能登半島地震と太鼓
-太鼓文化が強い能登ですが、今年1月1日には能登半島地震が発生しました。浅野さんと妻の紘佳さんは地震直後から能登への支援を行い、公益財団法人「日本太鼓財団」と協力して太鼓団体の被害状況の調査をされているそうですね。
浅野 はい。能登の各地域や団体で楽器や練習場、祭りで使われるキリコなどが津波や火災、倒壊により破損・消失するなど、大きな被害が出ています。震災直後は能登全域に避難指示が発令され、太鼓どころではないという日々が続きました。大人だけでなく若い太鼓チームに所属する子どもたちも、練習ができず辛い思いをしました。輪島市で被災した「輪島・和太鼓虎之介」の中高生メンバーは、昨年12月に開催された「日本太鼓ジュニアコンクール石川県大会」で最優秀賞に選ばれ、3月の全国大会出場が決まっていましたが、金沢市や白山市へ分かれて避難や転校をすることになりました。
-「浅野太鼓楽器店」では被災した太鼓の修繕、保管場所や練習場所の提供などを無償で行っていると聞きました。
浅野 被災した太鼓を直して納品に行くと皆さん笑顔で喜んでくださり、その場で演奏を披露してくださる方もいます。「輪島・和太鼓虎之介」も避難所からメンバーが集まり、限られた時間での練習でしたが、各団体からの支援を受けて埼玉県で開催された「日本太鼓ジュニアコンクール」全国大会への出場を無事に果たしました。全国各地の太鼓団体や太鼓連盟、太鼓連合会などからも能登への支援が多く寄せられ、地元の太鼓チームもチャリティー演奏などを行うなど、太鼓関係者も一丸となって能登を応援しています。
「道の駅めぐみ白山」で行われたチャリティー演奏の様子 ©横内淳史
-震災から半年たちましたが、能登のいくつかの地域では祭りが開催できたというニュースも目にしました。
浅野 7月には「能登島向田の火祭り」や石川県無形民俗文化財「宇出津キリコ祭り」などが規模を縮小しつつ開催され、8月には「御陣乗太鼓保存会」が久しぶりに地元での奉納演奏を披露しました。能登の人は祭りや太鼓に対する思いが特に強いと感じます。新型コロナウイルスの拡大で祭りが開催されなかった時期が4年ほどあったそうで、今回地震があっても「祭りができないのはもう嫌だ」という声をよく耳にしました。祭りは年齢も性別も関係なくみんなが参加でき、コミュニティーの結束も強くなります。今回の地震で住民の安否確認がスムーズにできたのも、祭りでの人と人とのつながりがあったからこそという話も聞きました。しかし、一方でいまだに住む場所や働き口がなく、地元に戻れない人や能登を離れることになった人もいます。能登では住民の方が太鼓の打ち手という地域も多く、地元の太鼓文化を今後どのように存続していくかという課題もあります。能登の祭りや太鼓文化を今後も守っていけるよう、少しでも手助けができればと思っています。
-浅野さん、貴重な話をありがとうございました。
石川の太鼓文化は人と人、人と地域をつないでいる。県内各地で鳴り響く太鼓文化が、これからも未来へ引き継がれていくよう願ってやまない。