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のとだより -未来への足音-
第2回 復興のチャレンジャーたち<後編>

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 認定NPO法人「趣都金澤」の能登復興特別委員会が7月29日に能登を視察し、復興に向けて活動する人たちに話を聞きに行くというので同行した。続編の今回は輪島と和倉温泉をリポートする。

輪島の漆産業の未来を見据える桐本さん

 門前から輪島に向かうには、国道が地震の影響で通行止めになっているために大きく迂回(うかい)しなければならない。輪島に近づくと道路はあちこちで補修した跡があり、ブルーシートをかけた家屋や崖崩れなどで地肌が露出している山も目立ち始める。

工房で出迎えてくれた桐本さん

 輪島で訪問した桐本泰一さんが運営する「輪島キリモト・輪島工房」(輪島市杉平町)は、朝市などのある町の中心から少し山側に入った新しく造成された区画にある。3年ほど前に道路工事の都合で移転を余儀なくされたそうだが、工房を新築したこともあって地震による建物への被害は軽微だったという。それでも工房内の作品が破損するなどの被害があり、離れた場所に立つ自宅も全壊した。

桐本さんの仮設工房

 工房の裏手には紙管(しかん)と呼ばれる紙の筒を使った仮設工房が2棟建っている。建築家・坂茂さんの協力によるもので、3月に20人ほどに手伝ってもらい2日で建てたという。「紙の骨組みは不安だという声も聞くが、紙管は軽くて丈夫、組み立てに重機も不要で、ニスを塗るなどの手入れをすれば半恒久的に使える」と桐本さんは絶賛する。費用も250万円くらい+工事費だが、補助金等を活用すれば100万円程度で建てられるはずだという。ニュースにもなったこともあり、見学者は既に150人を超えているそうだ。

仮設工房の内部の様子

 仮設工房の中は想像していた以上に広く、床や壁は合板。天井には丸い穴が開いているために、屋根として覆っているテント生地を通して昼間は自然光が入ってくる。家庭用のエアコン1台を設置すれば空調も問題ないと桐本さん。自治体に仮設住宅としての採用を訴えたが、基礎がビールケースであることなどから建物扱いにしてもらえなかったと残念がる。

隣接する土地で工事が進む公営の仮設工房

 隣接する土地には公費によって輪島塗の仮設工房30棟を建てる計画があり、建設が進んでいた。市内数カ所に計69棟が建てられ、輪島漆器商工業協同組合の工房や漆器店を中心に個人の職人も入る予定だという。ここに建てられる工房は日本モバイル建築協会が設計したコンテナ状の組み立て式建物で、地面から70センチかさ上げした上に基礎を打って建てる。桐本さんによると、2年半限定にもかかわらず1棟当たり1,000万円以上するという。せっかく隣に多くの工房ができるのであればと桐本さんは、統一的にデザインしたタペストリーを各工房入り口に掲げて、職人の一体感を醸成すると同時に輪島塗のブランド価値向上を図るファクトリーアイデンティティーを提案している。「地域を盛り上げて復興のきっかけづくりにできたら」と話す。

輪島塗の未来を語る桐本さん

 桐本さんは、復興支援のおかげで今は売り上げにつながることもあるだろうが長続きしないとした上で「輪島塗は伝統工芸の側面だけでなく、他の産地にはない特殊なものを作る技術がある。この強みを生かした新しい工芸を追及するなど、何年か先に向けた工夫をしていかなければ」と課題を挙げる。「輪島塗は昔からの職人気質(かたぎ)が残る一方、若手を中心に新しい動きもある。世代間のギャップや考え方の違いを超えて輪島塗の将来をどうしていくかを考えることが今こそ必要」と訴える。

 

和倉温泉のビジョン実現に奮闘する多田さん

 最後に訪れたのは和倉温泉。輪島からは3月に全線再開し、7月に対面通行が可能となったばかりの自動車専用道路「のと里山海道」の一番奥の区間を利用した。崩壊して谷に落ちた道路や土砂崩れで埋まった場所などが多数あり、緊急的に修復された道路や仮設の迂回路を通ると土木関係者の壮絶な努力を実感する。

多田屋から見た海の風景

 七尾市和倉温泉の市街地は新しい建物が多いために外観上は被害が少ないように見えるが、それでも旅館やホテルの立ち並ぶ七尾湾沿いの地域は埋め立て地のせいか道路や駐車場などにはひび割れや陥没が目立っていた。21軒ある温泉旅館の全てが深刻な地震の被害を受け、そのほとんどが半年以上たった今でも休業を余儀なくされている。今回はその温泉街の一番奥にある1885(明治18)年創業の老舗旅館「多田屋」(七尾市奥原町)を訪問した。

館内を案内する多田さん

 話を聞いたのは社長の多田健太郎さん。他の旅館同様に岸壁が崩れ、海沿いのスペースを中心に甚大な被害を受けたという。和倉温泉周辺の護岸は自治体が管理する公有地と旅館が管理する民有地が複雑に混在していて復旧を困難にしているそうだ。北陸地方整備局は、旅館が護岸の権利を自治体に譲渡すれば復旧にかかる旅館側の費用負担が軽減し、公共事業として統合的に工事を進めることによって早期復旧が可能になると説明。合意を求めていくという。

土のうが積まれた旅館の護岸

 多田さんの案内で懐中電灯を頼りに館内の一部を見せてもらった。地盤が沈下した場所にある建物には亀裂や破損が目立っていた。特に地上階にある浴場や露天風呂付きの客室などは、海が目の前にあるという景観を重視して七尾湾に面した設計になっているために被害が大きいようだ。護岸には波対策のための大きな土のうが積まれているものの、土砂が流出し続けているようで今でも地盤が下がっている箇所があるという。

露天風呂付き客室の様子

 多田さんによると、護岸の復旧工事については地権譲渡などの方針は示されたが、具体的な計画についてはまだこれからだという。海沿いに3メートル幅の道をつくるという話も出たが、露天風呂があるので反対意見を出したそうだ。将来的に客室の数を減らして品質を高めていく構想もあるが、低層階にある大浴場などの共用設備が大きいために不釣り合いになる課題があって悩ましいという。「建物の部分解体も考えているが、全部を解体するより手間と費用がかかるという話も聞く。そもそも業者が繁忙なために見積もりさえできない」と困惑する。

多田さん(中央)に話を聞く

 多田さんが委員長となって発災後3週間で策定した「和倉温泉創造的復興ビジョン」では、今まで旅館の中に閉じていたビジネスを、客が地域内の店や観光資源を「巡る」ようにしていくなどの方針を訴求したが、その後の具体化に向けた検討が思うように進んでいないという。多田さんは、課題の一つに関係者の連携を挙げる。自治体との連携や業者など外部協力者との関係構築がうまくいかなかったり、地域内でも旅館同士や世代間で考え方の違いがあったりするという。まずはそこから改善しないと復興も進まないと危機感を募らせる。

 多田さんは将来に向けて、海岸沿いに旅館のビルが壁のように立ち並んで建物に入らないと海が見えないという状態から「海の見える町」に変えていきたいと話す。駐車場などのコンクリートでグレーな印象がある風景も「歩いて魅力がある町」にしていきたいとも。「目前の問題を早く解決したい気持ちもわかるが、以前の状態に戻す復旧だけを目指すのではなく、5年~10年先にどうあるべきかを考えた復興を考えるべき」と話す。自らの旅館も、ワーケーション対応のコワーキングスペースを作って企業誘致するなど、「新しい取り組みをしていきたい」と意気込む。

 

 今回は能登各地でさまざまな活動をしている4人に話を聞いたが、課題はそれぞれ異なり、その大きさや難易度も多様だった。それでもみんな未来を見据えて、そのためにすべきことを熱く話していたのは印象的だった。復興のチャレンジャーとして敬意を表するとともに、私たちがその課題に対して何ができるかを考えたいと思う。

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