特集

のとだより -未来への足音- 
第1回 復興のチャレンジャ-たち

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 認定NPO法人「趣都金澤」の能登復興特別委員会が7月29日に能登を視察し、復興に向けた活動をしている人たちに話を聞きに行くというので同行した。

黒島に移住して活動する杉野さん

 最初に向かったのは輪島市の南に位置する黒島地区。黒島は海沿いにある集落で、石川県に8カ所認定されている国の重要伝統的建造物群保存地区の一つ。北前船の船主および船員の居住地として、そして幕府の天領として江戸時代から栄えた歴史があり、その風情が残っていることで知られている。

海が遠くなってしまった黒島の海岸

 黒島に行くには山間部を越えなければならないが、地震によると見られる土砂崩れによって山肌が露出している箇所が目立ち、山あいの道路はあちこちで復旧工事が行われていた。黒島の海は、海岸が地震による隆起でかなり広くなっていて、かつて波が打ち寄せていたであろう道路沿いの護岸からかなり離れた所に海が見えていた。港だった場所は白く変色した岩礁が露出し、完全に干上がっていて、最近までは小さい船で漁に出る住人もいたそうだが、それももう難しいのだろう。

黒島の状況を説明する杉野さん

 集落では、日焼けした杉野智行さんが出迎えてくれた。杉野さんは震災後に石川県庁を退職して黒島に移住し、ゲストハウスを運営する傍らで同地区復興のボランティア活動を推進している。集落を歩いていると住人から声がかかり、すっかり地元住民の一員になっているように感じた。

街道沿いの家屋

 海と平行に昔の街道が通り、その道に沿って南北2キロにわたって細長く続いている集落が黒島だ。道は今では住人の生活のためのメインストリ-トになっているが、人影も少なく、静かだった。黒瓦と黒ずんだ板壁がこの地区の家屋の特徴で、伝統的建造物群の主な構成要素なのだが、多くの家屋が地震によって全半壊となり、その判定を示す貼り紙があちこちに張り出されている。完全に倒壊してしまった家や崩れた土蔵、散らばったままの瓦やガラスの破片など、発災から半年以上たったにもかかわらず、生々しくその姿を残したままになっている。

倒壊した旧角海家住宅

 黒島を代表する建物「旧角海家住宅」が完全に倒壊してしまっている姿はショッキングだった。築100年以上の北前船の船主の住居で、国の重要文化財だ。価値のある家財などはレスキュ-済みだそうだが、建物自体は手つかずの様子で破片も周囲に散らばったまま。辛うじて残っている壁の一部は、大きな土のうでさらなる倒壊を防いでいる。国の支援を受けて再建の計画があるそうだが、立派な柱や貴重な黒瓦など使える材料が多そうなので、ぜひとも活用してほしい。

昭和の風情がある家屋

 集落の中には昔の理髪店や店舗など、洋風の様式を採り入れた昭和の風情が残る家屋もあり、独特の味わいと魅力を感じた。かつては町で唯一お酒が飲めるスナックだったという海に面した家屋も無事に残っていて、漁師が仕事の後に酒を飲んだりけんかをしたりしたという昔話を住民から聞かされたと杉野さん。これらの家屋の中には具体的な活用方法を考えているものもあるという。

杉野さんが立ち上げたゲストハウス黒島

 杉野さんが震災前に入手してゲストハウスの準備を進めていた家屋は旧角海家の目の前にその姿を残しているが、全壊判定を受けてしまった。それでも震災後に別の家を手に入れて再建し、ゲストハウス黒島として8月1日にプレオ-プンした。当面はボランティアの拠点として貸し出す予定だが、黒島に泊まりたいという一般の声も多く、今後の対応を検討していくという。「この町で継続的にお金を生み出すしくみを考えていくことが復興には重要」と杉野さん。「8月17日・18日には黒島伝統のお祭りがある。残念ながら神事はできないが曳山(ひきやま)は出そうと話を進めているので、地元の人を元気づけたい」と話す。

 

門前町で商店街の復興に奮闘する宮下さん

 続いて訪問したのは黒島から車で10分ほど内陸に入った山の裾野にある門前町。この町の中心にあるのが總持寺(そうじじ)祖院で、元々は曹洞(そうとう)宗大本山の總持寺だったが明治時代の火災後に横浜市へ移転し、跡地に別院として再興した歴史がある。

總持寺祖院の被害の様子

 總持寺祖院も地震被害は甚大で、応急措置をしたままの危険な状態のため公開を中止しているが、今回、特別に見せてもらった。2007(平成19)年の地震からの修復が終わり、2021年に落慶法要を終えたばかりで受けた震災だった。崩れた石垣を横に見ながら今にも倒れそうな門をくぐると、倒壊した建物や倒れたままの石灯籠が目に飛び込んでくる。修行僧も住めなくなり、現在は数人しかいないという伽藍(がらん)は静寂に包まれていた。山門、仏殿、法堂など主要建築物は耐震対策をしたばかりということもあって外観からは大きな被害はないように見えるが、それらをつなぐように建つ回廊は倒壊していた。

總持寺通り商店街の状況を説明する宮下さん

 門前で訪問したのは宮下杏里さん。總持寺通り商店街の振興を推進しているというので話を聞いた。黒島の杉野さんと同様に、宮下さんも町を歩くと住人から次々と声がかかり、地域コミュニティ-のリ-ダ-的存在に感じた。

ボランティアの拠点になっている櫛比の庄禅の里交流館

 宮下さんが運営する輪島市の「櫛比(しっぴ)の庄禅の里交流館」(輪島市門前町走出)本館は、古材を活用しているものの前回の震災後に建てた鉄筋造りのため、建物被害は軽微だったという。発災時は地域の避難所として使われ、今でも2階が復興ボランティアの拠点となっている。隣接していた築100年の呉服屋の建物「旧酒井家」をイベント会場や事務所として使っていたが、倒壊。道路をふさいだこともあり公費による緊急解体となり、今はさら地になっている。

商店街の被害の様子

 總持寺祖院から350メートルにわたって続く通りが商店街になっている。歩いてみると、通りに面した家屋のほとんどが地震の被害を受けていることが分かる。中には完全に倒壊してしまっている建物がそのままの状態で残されている。宮下さんによると店の半分以上が全半壊で、その多くが今でも営業できない状態だという。

商店街の被害の様子

 前の地震から立ち直ったばかりの商店も多く、存続に悲観的な声もあったそうだが、宮下さんは活気を取り戻そうと「門前マルシェ」というイベントを再開させた。それでも「今後は空き店舗の活用方法を考える必要があるかもしれない」と宮下さん。「全壊した家が住建メ-カ-の建物に置き換わらないでほしい。景観を大切にしたまちづくりをするには、建築家などの協力が必要」と話す。

仮設商店街の予定地で計画を説明する宮下さん

 そうした中、復興に向けて同商店街は、10月にプレハブの仮設店舗を駐車場など3カ所に作ることを決めた。豆腐店、和菓子店、呉服店など、営業を再開できていない11店舗が入居し、店舗のデザインなどは金沢大学の学生が手伝うという。宮下さんは「仮設商店街として地域全体を盛り上げるきっかけにしたい」と話し、今後の復興支援について「その場にいて支援してくれるのはもちろん、小さいことでもいいので長期で継続して支援し続けてくれることも重要。今は復興支援やイベントなどで人が来てくれるかもしれないが、5~10年後のにぎわいにどうつなげていくかが課題」と話す。

続く (次回は輪島と和倉温泉編です)

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