大阪-青森間を走る寝台特急「日本海」が3月16日出発の列車を最後に運転を終了した。JR金沢駅では同日夜、鉄道ファンら約300人が青森行きのラストランを見送り、JR西日本金沢列車区の運転士たちも最後の乗務を終え、長年親しんだ車両との別れを惜しんだ。
青森へ向かう「日本海」のラストランを一目見ようと、JR金沢駅に約300人の鉄道ファンが集まった
寝台特急「日本海」の前身は、1950(昭和25)年11月に大阪-青森間で運行を開始した急行「日本海」。その後、1968(昭和43)年に1日1往復の寝台特急となり、関西で働く東北・北陸出身者や旅行者らを運んできた。1日2往復に増便され、うち1往復が函館まで延長されていた時期もある。
かつてはホテルや旅館で宿泊することなく、約1020キロ離れた大阪-青森間を行き来できる「夜行列車」として歓迎されていたが、「新幹線や航空機、高速バスなど交通網の整備が進み、安価な宿泊料のホテルも増えた」(同社金沢支社広報)こともあり、昨年の1日あたりの平均乗客数は、1987(昭和62)年の約530人のわずか4分の1に当たる約130人にとどまり、今年3月17日のダイヤ改正に伴い引退することになった。
ローズピンク色のEF81形電気機関車が「ブルートレイン」と呼ばれる青色の客車をけん引する「日本海」。始発駅から終着駅までの片道15時間は、JR西日本とJR東日本の7人の運転士が交代で乗務してきた。
そのうちの1人で、8年間にわたり運転に携わってきた金沢列車区の北本正喜さん(52)は、金沢駅構内のレストランの調理士から約15年前に運転士になったという異色の経歴の持ち主。「電車とはブレーキの構造が違ううえ、発車・停車の衝撃が客車に伝わりやすいため運転が難しく、運転士の中でも技術のある人だけが選ばれる」(金沢列車区など)という電気機関車の乗務はかねての夢だったと言う。
「(乗客の)皆さんが寝ていらっしゃるので、衝動なく発車して静かに止まるのが基本。ブレーキを一回緩めると空気がたまるまでかからないので、ものすごく考えてブレーキをかけた。運転士として成長させてもらった」と振り返る。
冬の日、直江津(新潟県)-金沢間に乗務するため、JR直江津駅で到着を待ち構えていると、前面に東北と新潟の過酷な気象条件を物語るような雪を抱えて構内に入ってくるたくましい姿が印象的だった。「長い間、長い距離を運転してくれてありがとうございました。ご苦労さまでした」。寂しさをこらえ、役割を終えて一線を退く「相棒」にねぎらいの言葉をかけた。