ジャズピアニストの山下洋輔さんが3月8日、石川県羽咋郡志賀町相神の「能登リゾートエリア増穂浦」で、35年の時を経て、燃えるピアノの鍵盤をたたく。
山下さんは1973年、グラフィック・デザイナー粟津潔さんの自宅近くの空き地で、炎に包まれたピアノを演奏した。当時、作曲家の林光さんが中心となって取り組んでいた企画の一環で、水に沈めるなどさまざまな状態でピアノの音を出して収録し、レコード教材を作るものだった。山下さんは、依頼を受けて火の付いたピアノを弾き、この時の様子は、その場に立ち会った粟津さんが16ミリフィルムに収め、映像作品「ピアノ炎上」としてニューヨーク近代美術館に収蔵された。
同作品撮影から35年の時を経た今回の取り組みは、金沢21世紀美術館(金沢市広坂1、TEL 076-220-2800)の企画展「荒野のグラフィズム:粟津潔展」の開催を機に、山下さんが同館に申し出て実現する運びとなった。
山下さんは、「『ピアノ炎上』撮影当時は、粟津作品のオブジェとしての役割を全うしたと同時に、ほかの誰もやらなかったある芸術表現を獲得したのでは」と振り返る。「おれは一体、何をやったんだ、何だったんだ、というのを、どうしても再確認したい」(山下さん)。依頼を受けて演奏した35年前とは異なり、ピアニストである山下さん自らが表現として選んだ、新たな「ピアノ炎上2008」の誕生。これに先立ち、山下さんは2月17日、同企画展展示室内でライブを行い、壁に映し出されるかつての自分との共演を果たした。
「ピアノ炎上2008」の会場に選ばれた海岸のある旧富来町は、粟津さんの父親の出身地。幼くして列車事故で父を亡くし、事故の新聞記事と数枚の写真でしか父を知り得なかった粟津さんは父への強い思いを抱き続け、父のふるさとである同町に何度も足を運び、同町のシンボルマークのデザインを手がけるなど、縁が深い。
演奏当日、山下さんが使用するピアノは、製造後何十年も経ち、廃棄を待つのみという古いピアノ。製造・修復や解体、そして処分まで、ピアノの「ゆりかごから墓場まで」を共にするピアノ工房カナザワ(古府3)の岩田雅久さんが、当日も現場に立ち会い、鎮魂の意を込めて1台のピアノの最期を見届ける。山下さんは「心からの愛情を持って葬送のレクイエムを弾きたい。同時に、この演奏を、1973年の映像作品『ピアノ炎上』、それを制作した粟津潔という実験精神にあふれる芸術家、さらに60年代の実験的前衛的芸術運動全てへのオマージュとしたい」とのメッセージを寄せている。
同企画展を企画した不動美里学芸課長は「同企画展は、粟津さんが拓いた表現の地平の21世紀における意味と新たな価値を見出そうとする試みで、展覧会場そのものが新たな創造の発信地となることを目指している。今回のイベントは、かつての出来事の再現ではなく、まさに新たな創造の発信。そこには20世紀という近代合理主義の時代を経て、今を生きる人間のさまざまな深く複雑な思いが重なっている。海と空、大地と火とともに人間が取り行う祈りにも似た出来事、この厳粛な表現の現場を見守りたいという人々に一緒に立ち会ってほしい」と話している。
当日の演奏は17時ごろより開始。雨天などの場合、翌日。無料。同企画展の開催は3月20日まで。月曜休場。開場時間は10時~18時(金曜・土曜=20時まで)。
山下洋輔オフィシャルウェブサイト金沢21世紀美術館「荒野のグラフィズム:粟津潔展」奇才の表現にふれる体験型企画が目白押し-金沢21世紀美術館「粟津潔展」で(金沢経済新聞)能登リゾートエリア増穂浦ピアノ工房カナザワ